7

「ロイエンタール!」
振り向くと、親友が駆け寄ってくる。
「良い酒が手に入ったんだが、今晩どうだい?」
自分は笑った気がした。





――餞の酒か・・・それもよかろう。





やがて親友は少しだけ若返って現われた。士官学校の制服を着ている。
話すのをためらうかのような、悲痛な面持ちの彼を、ロイエンタールは目を逸らさず見つめていた。
「なぁ」
落ち着いた声だった。
「お前・・・死ぬ気だろう? 死ぬなよ・・・」
約束、したじゃないか。
奇妙なことに、口が開かない。声を出そうと意識はしているのに、口角の筋力は萎えているのか動かない。
彼は泣き出しそうな顔をしていた。鼻が赤らんでいた。
親友のこのような顔を拝むのは初めてだった。まさか、生きている間に奴の涙を拝見できるとは思っても見なかった。
笑いを噛み殺していると、
「俺が泣かないとでも思ってるんだろう。そうだ。俺たちはどんな時だって弱音すら吐かなかった・・・・・・」
その瞬間、するりと口が開いて声が出た。
「・・・卿は今俺を討った。叛逆した俺を。余計な情けはかけるんじゃあない。まだ皇帝は卿を必要としておられるのだからな」
「この大馬鹿野郎!」
そう吼えた彼の頬を流星が奔った。














日が暮れる。
黄昏色に染まる室内に血にまみれた反逆者はいた。
体に開いた穴から血がとめどなく滴るのがわかる。痛みより、血の気が引いて意識が朦朧とする。
次第に死の関は近づく。
向こうに、あの男は居るのだろうか―そんな疑問が期待と同時に浮かんだ。

「久しぶりね」

ぼおっとする視界に女の煌びやかな輪郭が映った。
昔、懇ろになった女だ。名前は疾に忘れ去ったが―一番長く一緒にいた女かもしれない。
訪れたのは女だけではなかった。
彼女の胸に抱かれている赤ん坊―軋む身を乗り出した。
「・・・俺の子か!?」
女は当然だと言わんばかりに「お前の息子よ」と、返した。
つくづく自分の愚昧さを嘲笑った。
―この子も愚かな。
どうせ生まれてくるのなら、あいつの「息子」として生まれてくれば良いものを・・・・・・・。
あの夫妻は子供を望んでいるのに恵まれず、自分と彼女は望んでもいないのに恵まれた。
―俺に「息子」を持つ資格は無い。
またこの女にも義務は無い。
ロイエンタールは渾身の力を込めて、言葉を発した。
「その子を・・・ウォルフガング・ミッターマイヤー元帥に託せ。彼なら・・・彼ならきちんと育ててくれる。・・・その子の将来に最良で最善たる方法は・・・それしかない」
妙に口の中が酸っぱくなった。





名も姓も無い息子よ。

お前に名前すら授けてやれんこの父を赦せ――。





薄れ行く意識の中で、独白した。












再び目を醒ますと、女の姿はなく、デスクの上には白いハンカチが名残惜しげに置かれていた。
「やれやれ・・・殺される価値すらなくなったか」
近侍のハインリッヒ・ランベルツが赤子を抱えて困惑した表情で入ってきた。
「閣下。あの女性は帰りました。この子をミッターマイヤー元帥に預けてくれと・・・。あの、どうすればいいでしょう?」
「すまんがしばらく抱いていてやってくれ。ああ、それから棚からウィスキーを」
何故この期に及んで酒を出してくれなんぞ言うのかわからないが、いつもの二人なら久方の再会をこうして祝うはずであろう。
身体に苦痛はなく、ひたすら睡魔だけが襲う。



「・・・・・・・遅いじゃあないか・・・ミッターマイヤー・・・・・・」




俺はもうすぐ寝るぞ。眠くてたまらん。
一体どうした?
「疾風ウォルフ」の名が泣くぜ。




・・・・・・・・・・。




なぁ、ミッターマイヤー・・・。

俺は一足先に逝くぞ。

卿は随分後になるだろうな。

構わんさ。ゆっくりでいい。

あの赤子を見てあげてくれ。俺のお前への十何年分の贈り物だ。




決して急ぐなよ・・・・・・・。







じゃあ・・・









さらばだ・・・・・・ウォルフガング・・・・・・・・・・












彼の身体を夕日が金色に染め上げる。
――その眼が開くことは二度とない。



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