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先日、ミッターマイヤー家に招待された。
彼の家は巨大な豪邸ではなく、こじんまりとしたごく普通の一軒家だった。
「やあ! よく来てくれた」
主人が扉を開けるなりとびきりの笑顔で出迎えた。
客間に通され、とりとめのない話を交わしていると、
「ようこそお越し下さいました」
「妻のエヴァだ」
夫はこの台詞を言える日を大層心待ちにしていたに違いない。
ミッターマイヤー夫人は熱いハーブティーを出してくれた。
「おい。ロイエンタールはどちらかと言えばコーヒー党だぞ。俺は良しとしても、彼は茶は飲まんよ」
「あら。そうでしたの?」
「いや、奥方。これで結構」
引き取ろうとする手を制し、カップに口を付ける。
夫人は早々と奥へ下がった。それを見送り、再び視線を戻すと正面に座る男が、
「どうだい?」と、尋ねてきた。
無論、その意味を理解している。
ロイエンタールは沈着とした表情を綻ばせることなく、淡泊に答えた。
「なかなかお美しい御夫人だ・・・。卿は幸せ者だな」
「よせよ。照れるじゃないか」
自分が尋ねてきたくせに照れ笑いを浮かべる彼を、微笑ましく思った。
無邪気に自身の幸福を喜ぶ友人の笑顔は、春を彷彿させる夫人の滑らかな光沢を放つクリーム色の髪や愁いを帯びた藤色の瞳よりも美しく、映えた。




―――本当に。卿は幸せ者だよ。ミッターマイヤー・・・・・・・・・・







戦況は膠着。おまけにローエングラム侯が、パウル・フォン・オーベルシュタイン中将の提言を受け、ヴェスターランド核攻撃を開始したことなどから、重臣間の空気は非常に重く張りつめたものになっていた。
そんな折、ミッターマイヤーが「共に昼食を取ろう」と言ってきた。




「やっ」
と、声を掛けると、当の本人は小さく手を掲げ、眉をハの字に垂らし、弱々しい笑顔で待ちかまえているではないか。
ロイエンタールは眉尻を片方吊り上げ、怪訝そうに訊いた。
「どうした。卿には珍しく覇気がないな」
「あぁ・・・ちょっとな。―とりあえず行こうか」
リストランテでカツレツにナイフを入れながら、疾風の将は口を開いた。
「子ができんのだ」
「・・・・・・・は?」
あまりに唐突な発言に、色の違う両眼を丸くした。
「今何と言った?」
「一度で聞いてくれ。・・・その、・・・どうも不妊症らしいのだ」
「不妊症・・・」意味もなく復唱してみた。
漁色家の自分としては縁遠い名詞ではあったが、友人の悩みは相当深刻なようで、
「俺がもっとしっかりしていれば・・・エヴァも辛い思いをせずに済んだろうに・・・」
グラスの水を流し込んでから、ようやく声を発した。
「しかし、何故俺に言うのだ。俺は答えを持っていないばかりか、卿の悩みを払拭せし得る忠言もできん」
すると、ミッターマイヤーはここで初めて明るい表情を見せた。
「いいんだ。俺はたとい、解決策が出なくたって、お前さんに聞いてもらえるだけで充分満足しているのだから・・・。―やはり迷惑かな?」
あまりに一方的なため、「冗談ではない」と怒られると思ったのか、不安げに顔色を窺ってきた。
その千変万化する表情こそ、ロイエンタールが望み、欲したものだった。自分という個人を形成するにあたって、そこだけがぽっかり欠落してしまっている。
代わりに自身が身に付けたのは、例え親しい友に向けたものであっても、くれてやることのできる笑顔というものはどこか虚無的なエッセンスを落とした、喜楽に欠けた微笑でしかなかったのである。


「とんでもない。身に余る光栄だ。ウォルフガング・・・」
「ありがとう。心から感謝するよ。オスカー」
二人は笑って、ミネラルウォーターの入ったグラスを重ねた。


この現象でさえ、彼等の間でしか成り立たない特別なものだった。
けれど、この時すでにロイエンタールの心の深淵には赤銅の火が燻っていた。



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