orion

あの日見上げた星空より高く

君が思うより遙か遠く―・・・。







街灯の無機質な灯りが舗道を白く照らし出している。
彼等は外套にマフラーという出で立ちで家路へと急いでいた。一人は肩をすぼめ、鼻先を巻き付けたマフラーに潜らせていた。
頭の頂から爪先まで凍てつくような夜だった。
「ロイエンタール、見ろ」
と、天を指し示して声を上げた。
応じて仰げば、やけにエナメル質な今宵の空には数え切れないほどの星が輝いている。まるで黒いシルク地に零したダイヤモンドの粒たちは、時に天文学的理論に沿って規則正しく配置され、時に無造作に散らばっている。
「綺麗だな」
「ああ」
「どうりで・・・今夜は冷えるわけだ」
いつしか二人は歩を止め、空を眺めていた。
白い吐息が闇へ吸い込まれる。
「あ!」
「何だ?」
「あれ、確かオリオン座と言うんじゃなかったか?」
四方の星に囲まれた三つ星が一際明るく煌めいている。
「そうだな・・・」
「でかいなぁ。よく見えるよ」
明朗とした感嘆の声が冴える。
「・・・オリオンというのは、地球の古代神話に登場する勇者の名前なのだそうだ」
誰に掛けるともない台詞を、呟いた後で自嘲した。
すると、
「へぇ・・・卿は博識だな」
と、隣の男は素直な感想を述べてくるではないか。
これには少し驚いた。
「知らなかったのか?」
「うん」
ちょっとの間見つめていると、彼は朗らかに笑って見せた。
「奇妙なモンだよなあ。俺はそんなことちっとも知らないで今まで生きてきて、卿は知っている」
ロイエンタールは沈黙していた。昔を思い出したからだ。
 部屋で一人、図鑑を眺めていた自分を―。
母親が狂死して、父親に見放されて育った幼少期。
独りぽっちの少年は夜になるとバルコニーへ出てこっそり泣いていたのだ。そんな彼を誰が慰めるわけでもなく、時折吹く風が小さな体に寄り添った。
一頻り泣くと今度は空を見上げた。夜空はいつも幾億千の星々が大きく、細かく瞬いていた。
少年は孤独からくる寂しさを馳せていた。やがて願わずには居れなくなった。
 ―もしかしたら明日、何かが変わっているかも知れない。
爽やかな朝。普段より眩い陽射しを浴びて階段を跳ねるように駆け下りれば、きっと、あの人が待ち侘びていてこう声を掛けてくれるはずだ。


「おはよう」と―。



「ロイエンタール?」
我に返ると、友人はもう笑っていなかった。暗くてよくわからないグレーの双眸には無垢な不審の色がはっきり映っている。
「ぼーっとして、どうかしたのか?」
「いや・・・少し考え事をな」
「ははぁ・・・もしかして、麗しい金髪の貴婦人の事かい?」
彼は答えるかわりに微笑んだ。それから視線を再び空へ向けた。
月が皓々と地上を照らしている。
美しいと思った。
けれどその光を注がれた街や木々は石のように静閑として佇んでいる。
自然と眼を細めた。
「ぼちぼち行こう。寒くて凍えちまう」
せっかちな親友が石畳を踏んで合図した。鼻のてっぺんが朱に染まっているのがわかった。
「・・・・・・・ああ。そうしよう」
彼もまた冷えつつある足を帰路へと踏み出した。







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