ハイネセンで朝食を

混迷する銀河の皇帝となった一人の青年。
彼の頭に戴冠されたのは僅かながらの栄光と反してあまりに多すぎる犠牲の代償の証だった。




新王朝へ移り変って間もないある日、『帝国の双璧』と称される二人の将校がハイネセン市中を訪れたのは遅めの朝食を摂るためだった。
彼等はとあるカフェの前で足を止めオープンテラスでは目立つという理由で中へ入った。
客のまばらなテーブルに鼈甲色から白銀色に移ろぐ陽光が反射してダイヤモンドの煌めきを放つ。
惜しくもモーニングの時間が過ぎていたため、とりあえず落ち着こうと飲み物を注文した。

「コーヒーを二つ」

ウェイターが立ち去ると、甘い金髪の将校が襟元を緩めて息をついた。
「今朝はヒヤヒヤしたな」
「ああ・・・何せあのオーベルシュタインがまたしでかしたからな」
『あの』のくだりからすでに苦笑いが零れる。少年のような容貌だ。
「おかげでこっちは一苦労した」
双璧の片割れは相槌を打った。
「怒り狂った猪を抑えるのは並大抵の力ではいくまい」
「・・・卿は見ているだけだったな」
金髪の将校は恨みがましく睨んでみたが、相手は全く意に介すどころか己の黒みがかった茶色の前髪を撫でつけると、その端正な顔に意地悪い微笑を浮かべて見つめ返した。
「止める方は必死だったんだぞ」
若い面立ちの僚友が言えば、
「そうだろうな」
と、涼しい顔で応じる。
「・・・・・・・他人事だと思ってないか?」
念のため確認してみれば、即肯定された。
「ああ。他人事だ」

―この野郎・・・テーブルの下から脛を蹴り飛ばしてやろうか。

などと内心悪態を付けておれば、
「何も卿まで止めに入らずともよかろう・・・あの手合いはミュラーやワーレンの専門だ。奴等に任せておけばいい」
皆まで聞くと大仰に溜息をついてみせた。
「卿って奴は・・・」
「褒め言葉が見つからんか?」
「それどころか掛ける言葉もないよ」
そこへウェイトレスがやって来た。
すると彼女は二人分のコーヒーと、小さい紙切れを同僚に差し出すとそそくさと行ってしまった。
彼等は数秒間無言のままでその後、
「ロイエンタール・・・知り合いか?」
「いや・・・」
僚友の反応はさして何の感慨もなかった。
渡された紙切れの折り目を開いて見るなり色の異なる双眸を細め、こちらへ差し出してきた。
「おいおい・・・俺に渡されても困る」
だが彼は悠然とコーヒーを口にしつつ「見ろ」とばかりに合図する。しかも「見るまで返してくれるな」という気配まで漂わせて。
渋々中を開いて見れば、成程、彼の険しい表情も頷けた。
「何処へ行っても言い寄る女性は後を絶たんな」
勿論紙切れは元の主へ返却された。
「・・・とんだ伏兵だ」
ロイエンタールは苦み走った声で呟いた。
いつも「女性」の影が付きまとうような彼はおそらく帝国随一の『漁色家』であった。それなのにも
係わらず彼が関係した全ての女性に愛情を抱くことはない。
唯一無二の親友が結婚した時でさえ、表向きは祝福したが本音は「何故わざわざ結婚などするのか」と信じられない様子だった。
冷静に繰り出される言葉に「女性」が登場した際の昂ぶりや憤りは「女性」に対する異常なまでの嫌悪、憎しみが成せるものなのだろうか・・・。
しかしそれだけではない。同時に溢れる冷ややかな悲しみの正体を、彼は知る由もない。訊ねることもしない。
 ただ、そんな彼の心を慰め癒してくれる伴侶が現れることを切に願うばかりだ。
―大した助力も出来ないが・・・俺に出来ることはこれぐらいしか・・・
押し黙ったまま口に含んだコーヒーは冷めかけていた。

「何か頼むか?」

そう訊ねたときだ。
コーヒーカップを訝しげに見つめる相棒に気づくと、
「ミッターマイヤー、どうした・・・?」
「このコーヒー・・・少し苦くないか?」
眉間に皺を寄せた顔がこちらを振り仰ぐと今度は自分が眉を顰める番だ。
次いで自身のコーヒーを飲み、首を捻った。
「そうでもないが・・・」
「いや、絶対苦い。家内の・・・エヴァの淹れるヤツはここまで苦くないんだ!」
一瞬唖然としたロイエンタールは、

―知るか。

と、胸中毒を吐いた。
知らないミッターマイヤーは尚続ける。
「コクがない。おまけに苦いだけで濃すぎる!」
―失礼な客だな・・・。
黙ってコーヒーを飲みながら、背後で乾いた風が一陣吹き抜けていくのを認めた。
灰色の瞳を輝かせ、すっかり愛妻家の顔をした疾風の勇将は誇らしげに話す。
「エヴァのコーヒーは何て言うか・・・柔らかいのかな? ・・・それで苦みの中にもほんのり甘さがあって、とにかく特別なんだ」
やれやれまた始まった、の感である。もう耳を覆いたくなるくらい、聞いているこっちが恥ずかしい。背中がむず痒くなってくる。
戦時の闘志漲る僚友は大変頼もしいのだが、たった一人の「女性」にのめり込む姿だけは見ていて不愉快だ。
短く嘆息していると、またしても。
「・・・うん。やっぱり苦い」
―存外しつこいな、卿は・・・。
頭が痛くなってきた。そろそろ突っ込んでやった方がいいのだろうか。
 すると、彼は冷たくなったコーヒーカップへシュガーポットの砂糖を大さじ二杯と添えられていたクリームをドボドボ注ぎ込んだ。
「おい! 正気か!?」 思わず声を張ってしまった。
「いくら何でもやり過ぎだろう」
「・・・・・・・」
窓辺で小鳥がさえずっている。外で誰かが誰かを呼んでいるような声が聞こえる。
 先手に出たのは愛妻家だった。
意を決したかのようにカップを掴み、一気に中身を飲み干した。
最後に「カチン」とカップの底が受け皿を打つ音が店内に響いた。
「・・・どうだ?」
「・・・・・・甘い」 低い声で言った。
「・・・・・・・そうだろうよ」


さて、漁色家は先ほどのウェイトレスに声を掛けたのだった。






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