妻の決意

「変わってるんだよ」
「えっ?」
キッチンで洗い物をしていたフラウ・ミッターマイヤーはエプロンを外しながら夫のいるリビングに現われた。
ヘル・ミッターマイヤーはソファの上で胡座を掻いて食後のコーヒーに舌鼓を打っている。
「まぁウォルフ。はしたない」
「あ・・・すまん」
慌てて足を崩す。
「変わってるって・・・?」
彼女が横に腰掛けるとコーヒーカップを渡してやる。
「ありがとう」
受け取り一口含んでから、
「ロイエンタール元帥のことでしょうか?」
と、聞いた。
ウォルフガングは白い歯を見せて苦笑する。
「さすがエヴァは察しが良いな」
「これでも疾風ウォルフの妻ですからね。―でも、元帥閣下がどうかなさいましたの?」
彼は出会ったときとほとんど変わらぬ少年じみた顔を困ったように歪ませて、しどろもどろに言う。
「いや、どうってこともないんだが・・・その、なんだろう・・・」
エヴァが呆れたようにクスリと笑いを零した。
「あなた。仰りたいことは薄々わかりますけど、もうちょっとはっきり仰って?」
ダメ出しを喰らった夫は身を縮ませて頭を掻きながら「うん」と呟くと、
「・・・ロイエンタールのこと、嫌いじゃないかなって」
「あら。嫌いになる理由なんてあるんですか?」
妻のつぶらな藤色の瞳に、嘘偽りは見あたらなかった。だからこそ、余計に不安になるのだ。
「だがあいつは俺の同僚の中でも一番異種だぞ。漁色家のくせに女性には無関心どころか冷淡ときている」
「あらあら。ですけど私がお会いした限りではとても紳士的な方でしたわ」
―そりゃあ君、相手が俺の妻なんだから当然だろう。
突っ込んでやりたかったが発言するタイミングをなくした。彼女がコーヒーのお代わりを尋ねてきたからだ。
新鮮な豆の香り漂う熱いコーヒーをカップに注ぎながら嬉々として話す。
「この間お越しになった際も、私の手料理は美味しいと褒めてくださいましたのよ」
「へぇ? あいつが? 珍しいこともあるもんだ・・・」
「あなたもいつも褒めてくださいますけど、あの方の言葉って『建前』という感じがしないんです。要点のみを的確に仰いますでしょ? さっぱりとしたお方なんですわね」
「さっぱり? あれが?」
「身だしなみも完璧で清潔だし、落ち着いてらっしゃるわ。あなたには勿体ないくらいの素敵なご友人だと思います」
「・・・・・・・なぁ、エヴァ」
「はい」
「ほんっとーにそう思うかい?」
いつの間にかウォルフガングは身を乗り出して、妻に迫っていた。
確かに身だしなみは整ってるし、馬鹿なくらい清潔でちょっぴり潔癖性の疑いだってありそうだ。だがあれは落ち着き払ってるんじゃなくてスカしてやがるだけだ!
ベタ褒めされた親友に釈然とせずにいると、
「ただ・・・」
エヴァが意味深な発言をしようとしていた。すかさず促す。
「ただ。なんだい?」
「・・・閣下はいつもどこか寂しいような、悲しいようなお顔をされておりますの」
「・・・・・・・?」
「閣下は私には用件以外のお話はなされませんでした。けれど、あの方の視線は常に感じていました。痛いほど・・・」
それを聞いた夫の表情が途端に険しくなった。
「あの野郎。まさか君のこと―・・・」
「いいえ。それはありません!」
妻はきっぱりと否定すると、目を伏せ、考え込む素振りを見せた。
「違うんです」とだけ、聞こえた。

ロイエンタールがエヴァンゼリンに投げかけていたのは淡い思慕でも激しい情欲でもなく、静かな嫉妬だったのだと彼女自身は感じていた。
「・・・あいつは家庭の環境に恵まれなかったらしいんだ・・・」
いつか何気なく友人の過去について夫が漏らしたことがあった。
エヴァは頭の中で出来上がった彼の肖像画を見つめた。
黒と碧の二つの瞳が埋め込まれた端正な顔は喜びも楽しみも、怒りすらない。
その横顔に表れたのは底無しの悲しみだけ―。

――閣下は私のことがあまりお好きではないみたい。

初対面当初はそのように考えていた。現在でもその解釈でほぼ間違いはないだろう。
だが今改めて思うところは、

―ウォルフ。きっと、あなたのことが羨ましかったんじゃないかしら・・・
ご両親の愛情に恵まれて、結婚もしたあなたがとても眩かったんだと思うの・・・・・・・。

エヴァは彼に対し憐憫の情を募らせると共に、反発心も抱いた。

―どうして御自分で納得のいく人生を探さないのかしら? 世の中にはまだまだ幸せなことがいっぱいあるのに。
軍人であって、戦争をすることが閣下の幸せだとすれば、それは大間違いだわ!!




「エヴァ?」
黙ってしまった妻にウォルフガングが心配そうに声を掛ける。
妻は再び彼の灰色の目を見た。

ロイエンタールにとって「幸福」と呼べるに値するものが身近にあるのなら構わない。
彼が夫と共に先頭に立ち皇帝を守るべく戦うというのなら。
しかし、もしも帝国の「双璧」と謳われる夫と彼とが敵として戦うことになれば話は別だ。


「ウォルフ・・・」
「うん?」
「あまりロイエンタール元帥と喧嘩なさらないでくださいね」
切実な彼女の目を見ていた彼は、破顔して返した。
「あいつとの喧嘩なんてしょっちゅうだが、そこまで大それたものではない。エヴァ。心配ご無用だよ」
―そうだといいのだけれど。

今のところ両者の関係は極めて良好だ。
時折垣間見せる言い争いも仲の良さを窺わせる証拠である。
彼女も微笑ましく見守っている。


だが・・・


「ロイエンタール元帥閣下。あなたとウォルフの間で何が起きようと私は口を挟めません。ですが、それがきっかけでウォルフに万が一の事があったら・・・私はあなたを赦さないでしょう。絶対に・・・」



彼女は誰に言うわけでもなく自分の胸に言い聞かせた。
淡い藤色の瞳は夫ではなく、夫の心の中に居続けており、彼女には背を向けているその男を見据えていた。



両者ともにミッターマイヤー姓なのでわざと名前で書きました。
双璧が相撃つ前、別れの際にエヴァが「ロイエンタール元帥があなたの敵となるなら、私は無条件であの方を憎むことができます」
とウォルフに言うシーンが原作読んでてググッと来ちゃいました。そこから書いたものです。エヴァから視たロイエンタールという男。
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